頼りない夜に一つの光を

愛しきアイドルたちよ、幸せであれ

アイドル 加藤シゲアキが好きだ。

この手に情けない生き様を握りしめ

誰にも託せぬ夢ばかり

刃を抱く覚悟はあるのかと

問いながら歌う

 

2月20日に発売されたNEWSのアルバム「WORLDISTA」通常盤に収録されている最後の曲、加藤シゲアキのソロ曲『世界』。初めてこの曲を聞いた時、私は「加藤シゲアキの曲だ」という感想を抱いた。「これは加藤シゲアキという1人のアイドルを歌った曲なんじゃないか」、と。

 

リリースされる前に「オレ個人を歌った曲」「四畳半の自分の生きていく世界を表現」などと語っていたから、どこか先入観めいたものもあったのかもしれない。そういう意味では、ある種答えあわせ的な聞き方をしていたのかもしれない。けれど、きっとそういう前情報がなかったとしても、私はやっぱりそういう感想を抱いたんじゃないかと思えるほどに、この曲はあまりにも "シゲシゲしい"。*1

 

 

 

『世界』を聞いて思い浮かぶ加藤シゲアキの言葉は色々あるけれど、最も分かりやすく思い出されるのは 小説TRIPPER 2018年 冬号における加藤シゲアキの連載「できることならスティードで Trip9 スリランカ」の話であろう。そのエッセイの中で、彼はこんなことを綴っていた。

自分に悪意の矛先が向けられたとき、僕はいつも思う言葉がある。「自分に刃を向ける人を抱きしめられる大人であれ」

誰かに教えてもらったものではない。自分を律するために編み出した一つの処世術のようなものだった。

この号のTRIPPERを読んだ時の私の気持ちはとても複雑だった。加藤シゲアキのことをたまらなく好きだと思う気持ちと、好きだからこそたまらなく悲しい、と思う気持ちが渦を巻いた。

 

これは私の主観でしかないのだが、加藤シゲアキというアイドルは、たぶんそんなに強い人じゃない。「強い」という極めて抽象的な言葉をどう定義づけるのかにもよるのかもしれないけれど、少なくとも私が思う加藤シゲアキは、感受性豊かな故に傷つきやすく、自分に正直でありたいという思いからなのか、プライドの高さがそうさせるのか、意外と弱くて、脆い。嘘をつくのがとても下手だと思う。 感情の起伏はあまり見られないけれど、内心思うことはあるんだろうな、と感じることが多々ある。
けれど、その弱さや脆さを上手に取り繕って適当にごまかすこともできるのに、加藤シゲアキはそれをしない。アイドルなのに。それと同時に、その弱さや脆さを曝け出す強さも持ち合わせている。アイドルなのに。

そんな加藤シゲアキが「自分に刃を向ける人を抱きしめられる大人であれ」という信条めいたものを掲げていることに、納得すると同時に心が痛んだ。そういう信条めいたものを掲げなければこの世界でやってこれなかったのかもしれない。そんな世界で生きてきた加藤シゲアキだから、あんなにも真っ直ぐに不器用なのかもしれない。でもそれは、真摯で誠実である証拠でもあって。何もかも真っ向から否定せず全てまるごと受け止める、俺のことは好きにしてくれ、みたいな姿勢でいられるのは、そういうことなのかもしれない。

そうやって強くいてくれる加藤シゲアキがとても好きだけれど、好きだから、なんだかとても悲しい。

そう思った。

 

『世界』は、私にとってまさにそんな曲だ。加藤シゲアキというアイドルがとても好きだけれど、好きだから、とても苦しかった。

 

けれど、私がそう感じてしまうことを、きっと、加藤シゲアキは良しとしない。そういう風に聞いてほしいとは意図してないんじゃないかと思う。なぜなら、"今" の加藤シゲアキは、アイドルでいることを楽しんでいるように見えるからだ。

先月放送されたRIDE ON TIMEの第3回放送の中で「アイドルの仕事は楽しい?」と問われていた場面があった。その時、加藤シゲアキは言葉で答えるよりも前に、フッと笑った。まるで「愚問だね」とでも言うように。それは、無意識のうちについ表情に出てしまった、そんなように見えた。

 

私はアイドルとして生きてきた彼の全てを知らない。知らないけれど、アイドル活動を続けるにつれて、加藤シゲアキはアイドルでいることをどんどん楽しんでいくように見える。

 

また、同回のRIDE ON TIMEで「覚悟決まるいい年越しだった。またアイドルとしてスタートできる」とも語っていた。

そんな加藤シゲアキが「この世界で生きていくという一つの宣誓・思い・覚悟」を歌った曲がこの『世界』という曲なのだ。"今" の加藤シゲアキだからこそ歌える曲だと、私は思う。

 

 

これまでのソロと違って特徴的なのは、あまり音が作り込まれていないこと、印象的に使われていた英語詞が出てこないこと。そして、それ故に綴られた言葉たちがまっすぐに届いてくること。

本人はその言葉たちのことを「加藤シゲアキの作詞家としての本気」だと語っていた。

 

「この手に情けない生き様を握りしめ」という言葉から幕を開ける、この『世界』という曲。この入りの言葉を聞くだけで「あぁ、これは加藤シゲアキの曲だ」と私は感じてしまう。自身のこれまでのアイドル人生を「情けない生き様」という言葉で綴ることも、それを噛みしめるのでもなく、抱きしめるのでもなく、「握りしめる」ことも、あぁ加藤シゲアキだなぁと思う。その固く握りしめた拳を誰かに向け、他人を傷つけることも出来る。羨んだり妬んだり比べたり。けれど、"今" の加藤シゲアキはそれを絶対にしない。「人は人、自分は自分。比べなくなった。」以前そのようなことを語っていたからこそ「誰にも託せぬ夢ばかり」と言えるようになったんだと思う。そして、この握りしめた拳をそっと開いて私達に手のひらを見せてくれるような、"弱さや脆さを曝け出す強さ" も持ち合わせているのが、加藤シゲアキというアイドルなんじゃないかと、私は思う。

 

 

 

この『世界』の曲中に出てくる言葉たちは、わかりやすいようでわかりにくい。気になる言葉たちがたくさんいる。

「吐き出した息が獣みたいで」という言葉には、作家加藤シゲアキを感じる。どういう意図でこのような詞を書いたのか、ただの1ファンである私には想像することしかできないけれど、「俺を取り巻く世界マジファック」と感じていた、あの頃の加藤成亮を表しているようにも思えた。

「雨ざらし 空の向こうに一羽のルリビタキ」という言葉もとても印象的だった。幸せを呼ぶ青い鳥。確かに見えていたと思っていたのに、一体あれはなんだったのかと問うほどに幸せはまだ遠い。あの青い鳥のように、孤独はいつも隣り合わせ。今日もまた雨に打たれて。そんなモノローグが聞こえてくるようで。

 

 

そんな中で私が最も"アイドル"を感じた言葉は

どこかで生きてる誰かに悩んで

どこかで生きてる誰かに頼って

どこかで生きてる俺も誰かでどうすりゃいいの

という歌詞だった。ここに、「アイドルとファン」の関係性がよく表れていると感じた。

所詮ファンという存在は「どこかで生きてる誰か」でしかない。そんな「どこかで生きてる誰か」という存在に時に悩んで、時に頼って、生きていく。そして、アイドルという存在もまた「どこかで生きている誰か」というあやふやで不確かなものであり、ファンにとってアイドルがいつ「どこかで生きている誰か」になってしまうのかは、アイドル自身は知る由もない。そんな曖昧で、ある意味不健康とも言える関係性を築くファンとアイドル。そんな世界をどう生きていくべきなのか、葛藤にも似た迷いのような思いが込められているような気がする。

 

けれど「諦めるにはまだ早すぎるだろう ひたすらに走れ」と自身を鼓舞するような言葉が後に続く。この言葉こそが、"今" の加藤シゲアキらしいなと思う。いつからか、加藤シゲアキは "未来" を見つめるようになった気がする。過去を背負い込んでその重さに囚われて、その重さで足跡を刻むことこそが己の道だと言わんばかりのあの頃の加藤シゲアキは、もうそこにはいない。

 

 

求めていたのは愛じゃなかったか

求めていたのは夢じゃなかったか

求めていたのは魂じゃなかったか

この言葉たちから、私はこれまで発表された小説家加藤シゲアキの作品のキャッチコピーを思い出していた。

「絶望的に素晴らしいこの世界に、僕は君と共にある」(2012年発表 「ピンクとグレー」)

「死んだように生きてる場合じゃない」(2013年発表 「閃光スクランブル」)

「魂を燃やせ」(2014年発表 「Burn.」)

「思い通りにならなくても 生きていかなきゃいけない」(2015年発表 「傘をもたない蟻たちは」)

「ゲームの主人公は僕じゃなかった」(2017年発表 「チュベローズで待ってる」)

 

直接的に重なるのはBurn.の「魂」という言葉だけなのだか、なぜか私にはこれらのキャッチコピーとあの言葉たちがダブって見える。それはきっと、これらのキャッチコピーが加藤シゲアキというアイドルにそのまま当てはまるような気がしているからなんだと思う。

愛を求め、夢を求め、魂を求める。それは小説家 加藤シゲアキの作品の特徴でもあり、アイドル 加藤シゲアキがこの世界で生きていく原点でもあり、今までも、そしてこれからも、追い求め続けていくものなのであろう。

 

 

 

 

「貴様が世界だ」という宣戦布告にも聞こえるような、鋭く突きつけるような言葉で終わる『世界』。加藤シゲアキというアイドルはきっと、これからもこんな世界を生きていくのだろう。刃を抱く覚悟を問いながら、強くあれと誓いを立てながら。そして私はそんなアイドルを、こんな世界で生き続けようとするアイドルを、これからも遠くから見ていたいと思うのだ。

泥臭いから綺麗。人間らしいから愛おしい。不器用だから美しい。そんな唯一無二のアイドル、加藤シゲアキを。

 

 

 

*1:先日発売されたテレビ誌でもソロ曲については、やはり「この世界で生きていくという一つの宣誓・思い・覚悟」だと語っていた