頼りない夜に一つの光を

愛しきアイドルたちよ、幸せであれ

吾輩は加藤シゲアキのファンである。

吾輩は加藤シゲアキのファンである。その熱が冷めたことはまだない。いつまで好きかなんてとんと見当がつかぬ。何でも、唐突に出会いここまできた事だけは記憶している。

 

 

なんて、それっぽく書き出してみましたが。

本ブログは、加藤さんへの想いが溢れに溢れてとうとう爆発した1人のしがないシゲ担のひとりごとです。え、そんなのいつものことじゃんって?????否めなさがすごい。

 

 

WORLDISTAのオーラスに参戦してからもう1ヶ月近く経ってしまうことに衝撃を受けている筆者ですが、今でも鮮明に思い出すことのできる忘れられない景色があります。

それは、ソロ曲である『世界』を弾き語る加藤さんと、本ライブの最後の曲である『Love Story』を歌う加藤さん

 

もちろん、その2曲以外を歌い踊る加藤さんだってとっても素敵でとってもえっちでとっても可愛くてとってもかっこよくてとっても(以下略)で最高に狂わされたんですけども。それはひとつ前のブログで綴ったので今回は割愛するとして。

WORLDISTAツアーに参戦して「私、加藤シゲアキのファンでいられてとっても幸せだなぁ〜〜〜!!!」って改めて思ったんです。(とんだ惚気)   もちろん「NEWSのファンでいられて幸せ」という大前提を踏まえた上でのお話なんですけど。なんていうか、加藤シゲアキというアイドルを自担として応援しようと決めた、あの日の自分に全力で感謝したいし、「あなたの選択は間違ってなかったよ」って教えてあげたいなって改めて思ったんです。

 

 

私が加藤シゲアキというアイドルを好きになって、今年で10年という月日が流れました。この10年間、ずっと同じ熱量で好きでいられたかと問われたら、もしかしたらためらいなく「はい」と言い切れない部分もあるかもしれない。でも、その "熱" が冷めてしまったことは一度だってありませんでした。

 

私は以前、アイドル加藤シゲアキについて、こんなことを言ったことがあります。

私はそれがとても嬉しくて嬉しくて幸せでたまらなくて。

 

「シゲが3番目に好きっていううちわを持ってらした方がいたんだけど、俺も自分で3番目くらいだろうなぁと思うわけ」「俺のうちわ持ってくれてるのは優しさ。同情。」と自虐的に言ってた加藤さんが今、心から楽しんでステージに立っているような姿をここ最近のライブでは見ることが出来て、それだけで泣きたくなるくらい私は嬉しかったんです。やっと自分を信じられるようになったのかなって。そう思えるだけの自信がここ数年でついたのかもしれないなって。

「根拠のない自信は持てない」と語っていた加藤さんが、その自信をもちうるだけの根拠をこの数年で創り上げたのかもしれません。小説家という唯一無二の武器を手にして、ドラマにもコンスタントに出演して、去年は主演としても活躍して。一昨年のツアーでは、得意ではなかった歌を歌うのが今は楽しいと、そう言ってくれて。私が好きで好きでたまらない加藤シゲアキというアイドルを、加藤シゲアキ自身も愛してくれるようになったのかもしれないなって。

加藤さんの中でどういう意識の変化があったのか、ただの1ファンである私には分かりかねるし勝手にそう感じてるだけかもしれないけれど、ここ何年かのツアーの加藤さんは明らかに以前にも増して輝いているなぁと感じることが多くて。かっこいい曲ではしっかりかっこつけてくれるし、かわいい曲ではしっかりかわいこぶってくれるし、「どうせ俺なんかがやっても」と卑屈に考えていたかもしれない、なんとなくやらされてる感を感じさせるビジネス臭みたいなものが一切なくて、自分の意思でそう振る舞っているように私には見えていました。

 

愛されたがりのくせに愛され方がわからなかった加藤さんが今、「みんな俺のこと本当に好きね?(笑)」みたいな、優しい甘い顔して笑ってるのに本当に弱い私は、そんな加藤さんの笑顔をライブ中に見かける度に泣きそうになっては、たまらなく幸せな気持ちになります。

昔の加藤さんは「好き」と伝えたら「なんで?」とその愛を疑って納得できる理由なしには信じない、みたいなそういう捻くれたところが好きだったけれど、今の加藤さんは「好き」と伝えたら「…ありがとう(照)」と素直に受け取ってくれることが多い気がして。「ちゃんと伝わってるんだな」っていうことが実感できて、加藤さんを好きでいてよかったなって、そう心から思えるんです。

 

 

前置きが長くなってしまいましたが。

そんな加藤さんが、今回のWORLDISTAツアーで『世界』という曲を弾き語りという形で披露してくれたこと。『Love Story』で向けられた笑顔がこの上なく優しくて甘かったこと。あの光景を思い出すだけで胸がいっぱいになってしまって、こうして言葉にすることがなかなか出来なかったのだけれど、少プレのWORLDISTAレポを見てまた思うところがあったので、拙い言葉ながらもこうして書き記しておこうかなと思いました。

 

 

 

◯『世界』について

今回はギター弾き語りするのかな、でもそんな安易なことしないかな、でもこういう曲だからこそシンプルに身ひとつで勝負してくるんじゃないかな。参戦するまでは、そんな様々な思いを抱えていました。やっぱり、と言ったら後出しジャンケン的でずるい言い方なのかもしれないけれど、この『世界』という曲を披露するのにはこれしかないと思うくらい、何もかもが "ハマる" 演出だったように思います。

 

まず、黒スキニーに白のトップスにスニーカーというシンプルな衣装からして「らしいな」と私は感じました。その後に続く『Strawberry』『「生きろ」』という "演出によりかかることなく等身大でありのままの、ただまっすぐに歌を届けてくれるNEWS"の流れを踏まえての衣装だったのかなとは思うけれど、まるで加藤シゲアキのソロ曲のために作られたような衣装だなとも思いました。

何も飾らず染まらず背伸びせず。

そんな『世界』で生きている加藤シゲアキの等身大の姿を表現しているように見えたから。時にその"白"は意図しない色に染まってしまうこともあるのかもしれないけれど、それすら受け入れてこの『世界』を生きていく。勝手にそんな想像をしては、衣装を見ただけで「ああ、加藤シゲアキのソロ曲だなぁ」と思ったりもして。

 

演出もとても印象的でした。1番は完全に弾き語りで、自身の奏でるギターの音だけで何にも寄りかからずに歌い上げる加藤さんを見て、溢れそうになる涙をこらえるのに必死でした。歌詞の内容だけじゃなくて、その姿を見て改めて "今"の加藤シゲアキだから歌える曲だと、改めてそう思いました。なぜこの『世界』という曲の歌詞が "今" の加藤シゲアキだから歌えると感じたのかは以前のブログに綴ったのでここでは省略することにします。

アイドル 加藤シゲアキが好きだ。 - 頼りない夜に一つの光を


こういう言い方をすると上から目線に聞こえてしまうし自担の贔屓目が入ってしまうかもしれないけれど、この数年で加藤さんの歌はすごく変化したと思っていて。端的に言えば上手くなったと、私はそう感じています。それは、「音を外さない」とか「正確なピッチで歌う」とか、そういう分かりやすい技術部分はもちろんだけれど、「表現力」や「伝達力」などの "余白" 部分にさらに磨きがかかったように思います。4.5年前の加藤さんはこういう演出をしただろうか、と想像してみたけれど、きっと4.5年前の加藤さんはこういう演出を選ばないような気がする。その要因は「自信」とか「経験」とかなのかもしれないけれど、ただの1ファンである私には分かりかねるし、そもそもこんな想像でさえ勝手なものでしかないのだけれど、加藤さんの中で「歌」に対する意識が変化したのは明らかで。"今" の加藤シゲアキだから歌える曲を、"今" の加藤シゲアキだからできる演出で披露してくれたこと。それがとても嬉しくて、幸せで、そんな加藤さんの姿をこの目で見ることができて、加藤さんのファンでいれて良かったなぁと心から思いました。

 

最後に、それまで降りしきっていた雨(の演出)が上がって、力強くモニターに映し出された「貴様が世界だ」という文字。それは、こんな『世界』でこれからも生きていこうとするアイドル加藤シゲアキの「覚悟」であり、「宣誓」であり、宣戦布告のようなものなのかなと感じると同時に、これからも生きていこうとしてくれる『世界』には、"雨" は降り続かない、例え "雨" に降られてもそれはやがて上がるのだと、そう言ってくれているようで、やっぱり私は加藤さんがすごく好きだなぁと思いました。

 

 

先週や先々週のシゲ部でもこの『世界』の演出について語ってくれることがあったけれど、加藤さんはこんなことを言ってました。

これまで自分がやってきたような演出の延長線上をやってもファンの方々はきっと喜んでくれるんだろうけど、自分にとって難しいことをやりたいって思って。チャレンジしたいという意味でも今回ギターをやろうと。

 

拙いギターでアレですけど。まぁでもそういうものが大事かなぁと。上手く弾こうとするんじゃなくて、自分の今の音を出すことが『世界』にとって必要な音かなぁと。

「これまでやってきた演出の延長線上のソロ曲を披露してもファンは喜んでくれる」と信じてくれていることも、その上で「チャレンジしよう」と思ってくれたことも、格好つけず綺麗すぎず完成されていない音で『世界』というエッセイ的なソロ曲をやりきってくれたことも、私にとっては全部嬉しくて。ファンが喜ぶものを知ってくれていること、守りに入らず攻め続けてくれること、ありのままの姿を私たちファンに見せてくれること。そのどれもが愛おしくって魅力的で、これだから私はアイドル加藤シゲアキが好きなんだよなぁなんて思ったりもしました。

 

 

 

◯『Love Story』について

WORLDISTAツアーの終盤くらいですかね?シゲ担界隈で加藤さんのファンサについて話題になっていて。それぞれ思いのままにツイートされていたり、ブログに綴ったりされていて、私はそんなみなさんの加藤さんからもらったファンサ体験談を読ませて頂いて、あったかい気持ちが胸に溢れて幸せのおすそわけをして頂いたような気分になって、思わず泣きそうになったりしてました。

加藤さんのファンサは派手じゃない分わかりやすくないかもしれないし、物足りないと感じる人もいるかもしれないけど、ちゃんと見てくれてるんだな、向き合ってくれてるんだな、っていう誠実な姿勢が伝わってくるので私はたまらなく好きです。そんなとこも加藤さんらしいな、なんて思います。

 

私自身は「ファンサが欲しい」という感情があまりなくて、自分が加藤さんの視界に入ることに全くこだわっていませんでした。いやいやあんな美しい人の視界に入るなんて恐れ多い!やだやだむしろこっち見ないで!みたいな気持ちの方がずっと強くて(笑) ファンサされたい欲が皆無と言ったら嘘になるかもしれないけれど、少なくとも「シゲ!!!こっち見て!!!」みたいな感情でライブに臨んだことは一度もありませんでした。

うちわを作って持って参戦することも多いけれど、私的には「ファンサされたいからうちわを持つ」っていう意識はあんまりなくて、自分の気持ちを伝えるためのツールだったり、うちわを持つことでより高揚感を得られる、みたいな感覚でうちわを作って持っていくんですよね。

 

だからと言ってはなんですが、ライブ中は自分のファンにファンサする加藤さんをめちゃくちゃ観察します(笑) 自分のファンにファンサをしている加藤さんの優しい笑顔や、加藤さんに釣られたり指さされたりして崩れ落ちている加藤さんファンの方を遠くから眺めて、ほっこりするのが私のライブ中の幸せのひとつです。(変態)

そんな加藤さんとシゲ担をずっと見ていて、加藤さんは自分のファンを見つけるのがとても得意だな、と思っていて。手作りの名前うちわやファンサ系のうちわだけじゃなくて、公式のうちわを持っているシゲ担にも加藤さんはことごとく反応して、ひとりひとり丁寧に目を合わせて「ありがとう」と伝えてくれるんですよね。しかもその「ありがとう」のバリエーションがめちゃくちゃ豊富なんですよ。うんうん頷きながらの「ありがとう」とか、「ありがとうありがとう」って2回続けて言うパターンとか、ゆっくり口パクして「ありがとう」とか、「ありがとう」の「う」を強調して可愛いお口してたりとか。色んな「ありがとう」をたくさんのファンに伝えてる加藤さんを見るたびにまた好きが募っていきましたし、「ありがとうって言いたいのは私の方なのに!もう!ばか!」って思いながら、加藤さんのうちわとペンライトを大事に握りしめて参戦するのがいつもの私でした。

 

それが、今回のWORLDISTAツアーのオーラスである長野では、ありがたいことに席がものすごく近くて。『Love Story』での加藤さんの立ち位置がちょうど目の前のお席だったんですね。さらに、一緒に参戦したお友達が「らんちゃんお仕事が忙しくて時間がなかなかとれないだろうから」って、とんでもなく可愛いお揃いのうちわをわざわざ作ってきてくれまして。

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この可愛すぎる最高に愛のこもったうちわを受け取って、私はこの日初めて加藤さんからファンサが欲しいと思いました。「ファンサが欲しい」という言い方だとちょっと誤解を招いてしまうかもしれませんが、とにかくこのうちわを見てほしいと思いました。そして、たぶんきっと加藤さんなら見つけてくれると、私は確信にも似た期待のようなものを抱えて、ライブに臨んでいました。

 

ついに最後の曲となった『Love Story』を歌う加藤さんは、溶けちゃうんじゃないかなってくらいずーっと甘い顔して優しく微笑んでいて、自分のパートじゃないところも口ずさんだりしていて。そんな加藤さんを目の前で見ていた私はいよいよ泣きそうでした。にこにこでふわふわな穏やかな表情で『Love Story』を歌う加藤さんはとってもアイドルで、優しい顔してファンを見つめる加藤さんはとっても素敵で、何億回目かの「すき」を実感したりしてました。

 

そんな『Love Story』の曲中に、加藤さんと目が合った、と感じる瞬間がありました。

私は素直じゃないから「えっ、まっていま私もしかして加藤さんと目が合った…??いやいやそんな訳〜〜!!!いやでもめちゃくちゃこっち見てたような気がする…??いやいやそんな都合の良いことあるか!!」という一人芝居を繰り広げがちなんですが、周りにシゲ担がいなかったこと、その後も何度も目が合った(ような気がする)こと、こっち見てくれたかな、もしかしてうちわ見つけてくれたかな、って思った時にはさらに甘く優しい顔して「ふふっ」って笑って「うん、ちゃんと見えてるよ」とでも言うかのように大きく頷いてくれたこと。さらに、「君にそうずっと〜」の振り付けのところでこっちを指差してくれた気がして(るような自分こわい)。「どうして…なんでそんなに優しい顔して…」と頭を抱えてしまいたくなるほどに、加藤さんはこっちを見て甘く優しく笑ってくれました。(たぶん)

 

そんな加藤さんが、今月発売されたQLAP7月号でファンサについて言及している部分がありました。自分のファンではない人にファンサをしているメンバーを「みんなに楽しんでほしいっていう発想だから、それはそれで正しい」と評した上で、「俺は絶対にしない!その時間に自分のファンを幸せにしたいって思うもん。」と語っていて。

いやもうなに?なんなの??加藤さんが自分のファンに特別甘いことは知っていたつもりだったけれど、それを言葉にしてくれることってあまりなかったような気がしてたのに、こんなはっきりと改めて言われたらどうしていいかわからなくなるじゃないですか…。私は今回のツアーでありがたくもファンサ(らしきもの)を頂きましたが、別にファンサなんてくれなくったって幸せなんですよ。加藤さんがアイドルとして輝くステージに立ってくれているだけで、この上ない幸せを感じるんです。

それなのに、今までのライブで私が目撃した色々なファンサも、あの多種多様な「ありがとう」も、「自分のファンを幸せにしたい」という思いからきたものなのか…と思うとたまらない気持ちになります。15年以上もアイドルとして表舞台に立ち続けている人が、ライブに足を運ぶファンとそんな思いで向き合っているという事実にまた頭を抱えたくなります。こんなに甘やかされて幸せでいていいのか…と思わなくもないですが、当の加藤さんが自分のファンを見つけることで安心できたり、アイドルとしての自信に繋がっていくのだとしたら、こんなにも嬉しいことはないなぁと思います。

 

 

加藤シゲアキというアイドルは、普段は "愛" を分かりやすく言葉にはしないし自ら進んで発信するような人じゃないから伝わりづらいのかもしれないけれど、いざライブになるとわかりやすくはない不器用なファンサで懸命に気持ちを伝えようとしてくれるし、毎度毎度「愛してるよ」とか言うし、例え言葉にしなくとも表情や態度がそれを物語ってしまう、最高に自慢の自担なんです。

 

 

私は今までもこれからもこの先もずっと、加藤シゲアキというアイドルが大好きです。

 

 

なんだか最後はただの惚気になってしまった…(笑)

おしまい。