頼りない夜に一つの光を

愛しきアイドルたちよ、幸せであれ

変わらないもの、変わってゆくもの。

私ゴトではございますが!!!!

この度、加藤シゲアキというアイドルを好きになって、今年で10年という月日が流れました〜〜〜!!!!ハマりやすく熱しやすいタイプのこの私が!!!!同じ人を10年間も好きでいられたなんてすごい!!!!奇跡!!!!って思ったんですけど、改めて振り返ってみると、私の気持ちがどうこうという問題じゃなくて、ずっと好きでいさせてくれた、ずっと応援したいと思わせてくれた、加藤さんがすごいんだなってことに気がつきました。

こんなこと言うとめちゃくちゃ盲目でとってもイタイ感じに聞こえますが、それは「加藤さんが完璧なアイドルだから」ではなくて、「加藤さんの魅力が私を離してくれなかったから」なんだと思います。私にとって加藤さんは昔も今もSUPERSTARじゃないし、ヒーローでもないのだけれど、ずっと特別で、ずっと大好きな人でした。この10年間、ずっと同じ熱量で好きでいられたかと問われたら、もしかしたらためらいなく「はい」と言い切れない部分もあるかもしれないし、自身が置かれていた環境が要因で熱量に差があった時も否めないかもしれないけれど、その "熱" が冷めてしまったことは一度だってなかったように思います。今も昔もずーっと加藤さんが好き。その気持ちだけはずっと変わらないし、きっとそれはこれからも変わらないんだろうなぁと。未来のことなんて誰にもわからないし、自分の気持ちの変化でさえ予想もつかないんだけれど、それだけは確信にも似た予感みたいなものがずっとあって。そう思い続けていたら、いつのまにか10年という月日が流れていました。

 

なんでこんなにずっと加藤さんのことが好きなんだろうな〜とふと考えてみると、それは加藤さんが「常に変わり続ける人」だからなんじゃないかなと思いました。だから目が離せないし、その変化をずっと追っていきたいと思う。もちろん変わらない部分だってたくさんあるし、その変わらない部分にこそ好きが詰め込まれていたりするんだけれど、変わらない加藤さんと変わりゆく加藤さん、そのふたつが同居する「加藤シゲアキ」というアイドルがとても興味深くて、面白くて、素敵だなと思えて。見てて飽きないどころか、全く飽きさせてくれないんですよね。はぁ〜困った困った。

 

この10年間私なりに加藤さんをずっと追いかけてきて、「加藤さん変わったな〜」と思う瞬間は本当にたくさんあって。例えば、昔の加藤さんは「好き」と伝えたら「なんで?」とその愛を疑って納得できる理由なしには信じない、みたいなそういう捻くれたところが好きだったけれど、今の加藤さんは「好き」と伝えたら「…ありがとう(照)」と素直に受け取ってくれるような気がして。愛されたがりのくせに愛され方がわからなかった加藤さんが今、ライブで「みんな俺のこと本当に好きね?(笑)」みたいな、優しい甘い顔して笑っているのを見て「加藤さん本当に変わったな〜」なんて思ったりします。人から向けられる好意だったり、時には評価だったりを、昔よりだいぶ素直に信じてくれるようになった気がします。それは、自分にそれだけの価値があることを、それだけの魅力があることを、やっとわかってくれたからなんじゃないかな、なんて勝手に思ったりもします。

たぶん、加藤さんはずっと、理由探しの旅をしていて。「NEWSでいていい理由」「必要とされる理由」「愛されてもいい理由」を探し続けてきて、ここ何年かでやっと自分でも納得のいく理由が見つかったんじゃないかな。私がだいすきでたまらない加藤シゲアキを、加藤シゲアキ自身も愛してくれるようになったような気がします。そしてまた次の旅路を走り続ける加藤さんの行く先がどこに向かっているのかは、今はまだ知る由もないのだけれど、やがて辿り着く先がどうか明るいものでありますようにと願わずにはいられません。

 

そうやって確固たる理由を探し続け、その理由を自らの力で築き上げてきた加藤さんは、本当にいい歳のとり方をしているなぁと思います。最近Twitterで散々そのようなことを呟いたのですが。

昔から老け顔だって散々いじられてるけど、そうでなくともこの数年で1番見た目が変化してるのは加藤さんだと思ってて。でもそれは老けたとかじゃなくて、自信や経験みたいなものが如実に顔に現れるようになって、すごくいい顔して笑うようになったなぁなんて思います。あ、まぁもともと顔がいいんですけど。なんていうか、昔と今では顔つきがぜんぜん違うんですよね。いい歳の取り方してるなぁと常々思ってます。さらに深みや渋みみたいなものも加わり、静なる色気みたいなものも加わり。これからもそうやって歳を重ねていくであろう、30代後半、40代、その先の加藤さんも楽しみだなぁと心から思います。 ー(過去ブログより引用)

少しずつ築いてきた自信も、培った様々な経験も、散々味わった挫折も後悔も、その全てを糧にして自身の血肉としてしまう加藤さんは、自身がこれまで歩んできたアイドル人生を「情けない生き様」と歌うのだけれど、取り繕うことなく弱さを曝け出す勇気と、それを認められるしなやかな強さがある。それがアイドルとして正しいのかはわからないけれど、私はそんな "普通っぽさ" "人間らしさ" が加藤さんの唯一無二の魅力だと、しみじみ思います。

 

これは完全に主観でしかなく、あくまで "今の加藤さんと比べて" というお話なのですが、私が好きになったばかりの頃の加藤さんは、"アイドル" がとても下手だったような印象でした。パフォーマンスは妙に力が入っているように見えるし、なんだか不器用に生きづらそうにしていて、全然素直じゃなくて捻くれてて、「この人なんでアイドルやってるんだろう」と思ってました。たまーにテレビで見かける加藤さんは、顔はいいくせにどこか自信がなさそうで、落ち着かない目線が何度も宙を泳いで、トークやキャラクターもいまいち振り切れなくて、そのくせプライドだけは高そうで顔つきもなんとなくキツくて。雑誌のインタビューを読んでいても、自身の置かれている状況や自分自身にも納得がいってなさそうなのに、それらを打開する"何か"は見つかっていなさそうで。強気な発言をしたかと思ったら、ネガティブな考えで否定して打ち消して。ちぐはぐで、曖昧で、でもそんな妙なアンバランスさが私の目にはとても魅力的に映っていて、気がついたら加藤成亮から目が離せなくなっていました。

 

そうやって加藤さんを好きだと自覚し始めた時、たまたまクラスにいたNEWSファンの子に「加藤くんはなんでいつも端っこにいるの?かっこいいのに。」と聞いたことがあります。歌番組での立ち位置や色んな意味での扱いから、どうしても"NEWSの端っこにいる人"という印象が強かったから。私の問いに対して、彼女から「え〜だってシゲだもん(笑)」と半笑いで言われたのは今でもすごくよく覚えています。当時は自分で自由に使える携帯なんて持っていなくて、もちろんTwitterなんて全然身近なものではなかったし、その存在すら知らなかったかもしれない。今よりもっともっと狭い世界で生きていた私にとっては、その彼女の意見が世間の声として聞こえてしまって、勝手に憤慨して勝手に落ち込んで、すごくショックを受けてる自分に少しびっくりして。そこで初めて「あ、私そんなに加藤くんのことが好きなんだ」と気がつきました。

 

まだ今よりずっとずっと子供だった私は、そこからは意地のようにムキになって加藤さんを追いかけました。自分の好きな人が認められないことが悔しくて、やっとドラマ主演が決まったと喜んだのも束の間、主題歌はシングル化されなかったりして。なんで、どうして、とどこかやりきれない思いを抱えてていながら、でもどうしたらいいのかわからなくて。

それが今となっては、コンスタントにドラマに出演し、その主題歌やオープニング曲をシングルとしてグループにもたらす加藤さんを見ていると、なんだか感慨深いものがあります。加藤さんはもう"端っこ"じゃない。例え端っこだと言われようとも、それはただの端っこじゃなくて、全てを支える"両輪"であり、そして時には"真ん中"であり先陣を切る"前衛"なんだと、この数年の加藤さんを見ているとそんな風に思います。「自分が目立たないことで人が輝けばいい」と語っていた加藤さんが、「自分から陽を浴びにいかなきゃダメだし、それもなんか楽しいなぁと思えたの。今までそこを楽しくないって思ってる方が楽だったのかもしれない。」と新たな思いを口にして、"影"が自分の居場所だったと語る加藤さんが眩い"光"を浴び始めて。そうやって成功体験を積み重ねて、確かな自信をつけてどんどん魅力的になっていく加藤さんをこれまでたくさん見てきた今、その背中はすっかり逞しく、頼もしいとすら感じます。

 

そんな最近の加藤さんを見ていると、生きるのが楽しそうだな、なんて思います。"アイドル加藤シゲアキ"としての輪郭がはっきりしてきたというか。自分に何が求められていて、何が期待されているのかをきちんと理解した上で、そこに応えられるだけの魅力や実力が伴っていることを、様々な体験からやっと実感して自信を持ってくれていて、自分に出来ることを最大限発揮して"アイドル" に還元してくれているというか。何かを掴み始めたような加藤さんを見て、きっと今"アイドル"が楽しいんだろうな〜以前にも増して楽しそうだもんな〜嬉しいな〜なんてこの数年は思っていたのですが、今年の初めに放送されたRIDE ON TIMEではその思いをはっきりと口にしてくれて。「アイドルの仕事は楽しい?」という質問に対して、加藤さんは言葉で答えるよりも前に、まるで「愚問だね」とでも言うようにフッと笑っていて。それは、無意識のうちについ表情に出てしまったように見えて、どこにも嘘がなくて素直にそれを信じられました。さらに「好きじゃなきゃ出来ないよ」とまでダメ押しをしてくれて。そっか〜加藤さんは"アイドル"が楽しいんだ、"アイドル"が好きなんだ、と改めて実感出来たのがとても幸せでとても嬉しかったのと同時に、晴れやかな表情でそう語る加藤さんは、昔の加藤さんとは全く重ならなくて。昔の加藤さんが「アイドルの仕事は楽しい?」と聞かれたら、ちょっと考えたと思う(笑) 「うーん、そうっすねぇ」から始まり、それっぽい小難しいことを並べるような気がする。(ひどい)

 

その言葉通り、ライブでの立ち振る舞いも本当に変わったな〜と思うこともたくさんあります。かっこいい曲ではしっかりかっこつけてくれたり、かわいい曲ではしっかりかわいこぶってくれたりして、「どうせ俺なんかがやっても」と卑屈に考えていたかもしれない、なんとなくやらされてる感を感じさせるビジネス臭みたいなものや照れが一切見えなくて、あくまで自分の意思で進んでそう振る舞っているように見えたり。また、放っておくと隙あらばすぐ自分の見せ場をつくっては、歓声が沸いた仕草や表情に関しては、味をしめて毎公演同じパフォーマンスをしてきたりと、"アイドル"を手放しで心から楽しんでいるような気がして、たまらない気持ちになります。

 

そんな加藤さん、去年の下半期あたりからまたちょっと変わったような気がしていて。以前までは、下記のように感じていた部分も少なからずあったと思うのですが、最近の加藤さんは色んな面で余裕が見えて、どこかゆったりと、どっしりと構えているように見えます。

「求められること」が当たり前じゃなかった人だからなのかもしれないけど、加藤さんはなんでもかんでも気負いすぎじゃない?って思うことが多々あるんだよね…なんか見ててちょっと辛い時がたまにある。余裕がなくなっちゃう感じ。そういうところが好きだったりもするけど。

「ゼロ 一獲千金ゲーム」というゴールデンタイムの主演ドラマをやりきったからなのか、NEWS15周年という節目を迎えて何か思うところがあったのか、その要因はただの1ファンである私には図りかねるし、そう見えていること自体私の錯覚なのかもしれないけれど。またひとつ何かを乗り越えて変わりゆく加藤さんは、昔とは違って「応援したい人」から「応援させてくれる人」になったのかもしれない。その関係性に特に変わりはないし、距離感だって変わることはないのだけれど。「加藤成亮」を好きだった年月より「加藤シゲアキ」を好きな年月の方が長くなって、どちらも大好きな加藤さんであることには変わりないはずなのに、上手にイコールで結びつかないのは、きっとそういうところも関係しているのかもしれないな〜なんて思ったりもします。

 

 

 

 

………つらつらとまとまりのない、ただひたすら加藤さんへの想いを羅列したブログになってしまった…(笑) うーん結局何が言いたかったのか迷子になってしまったし、なんでもわかってる風な論調になってしまったのもいけ好かないし、結果まだまだ全然書き足りないな!という不時着っぷりが凄まじいのですが!!!!(笑) 想いの丈を全て綴ろうとすると、源氏物語もびっくりな大長編になってしまう予感しかないので、このへんで止めておきます。

 

 

加藤シゲアキさん、10年間ありがとう。

11年目もよろしくね。ずっと、ずっとだいすきだよ。