頼りない夜に一つの光を

愛しきアイドルたちよ、幸せであれ

いま君を想い、そして晴れを願う。

 

こんな時なのに、いや、こんな時だからこそとも言うべきか、いまの私は加藤さんのことばかりを考えてしまいます。

 

もちろん小山さんや増田さんのことだって、いつも想ってます。大好きです。ほんのついこの間まで"アイドル"だった(と過去形で表記するのにはまだ抵抗がありますし、なんだか不思議な気がしてしまうのですが)手越さんのことだって同じように。

薄っぺらく聞こえてしまうかもしれないし、ありきたりな言葉で説得力のカケラもないかもしれません。何より、普段から"Twitterのらんね"をフォローしてくださっている方々は、呟きの大半が加藤さんなので「加藤さんばかり」という印象が強いんだろうなという自覚はあるのですが。けれど、小山さんと増田さんのことだって、本当に心の底から大好きです。いつだって幸せを願ってる。"これから先"の手越さんのことは、このブログを書いてる時点では言動や活動も見ていないし、まだ何もわからないので不確かなことは言えませんが、少なくとも"アイドルだった"過去の手越さんのことは、本当に本当に大好きだった。

 

けれど、しばらくは加藤さんだけが好きで、山下くんと錦戸くんの脱退を機に「加藤さんがいるから」という理由で初めてきちんとNEWSと向き合って、そうして"4人"の形のNEWSというグループを好きになった私は、今このような状況の中、どうしても加藤さんを主語に物事を考えてしまうし、加藤さんが語った思いや綴られた言葉・浮かべた表情ばかりを思い出してしまいます。言い訳がましいのは承知の上です。

 

それが苦しくて苦しくて、行き場のない思いがずっと宙ぶらりんの状態で、でもそれをこうして文章にすることをとても躊躇っていました。だってそんなの、まるで加藤さんのことしか考えてないみたいじゃないですか。それは、小山さんと増田さんのことも、そして"アイドル"だった過去の手越さんのことも、大好きな私が私を許せなかった。こんな時だからこそ、加藤さんのことばかりを語りたくなかった。

でも、それもちょっと限界というか、昨日のシゲ部を聴いて何かがぷつんと切れてしまったみたいなので、こうしてココで思いっきり加藤さんのことを想って泣いてみることにしました。

 

 

昨日のシゲ部で、手越さん脱退の件について特別何か触れた訳ではありません。なので、明確に何があってどう、という訳では決してないのですが、私が湿っぽいモードなこともあって、加藤さんが話すひとつひとつの言葉に過剰に敏感に反応してしまったんだと思います。

 

加藤さんは、昨日のシゲ部で料理関係のメールの流れでクラウドのことについて触れていました。この自粛期間中毎日2食分料理をしていたらしいのですが。以下文字起こしです。

僕、今何をクラウドにあげていいかわかんないっていうかねー、なんか、ちょっと、クラウドも自粛してるっていう、しなくていいんだけどね、しなくていいんだけど!…なんか、なんかね。っていうので、そうそう。本当は料理の写真とかもあげてこうかなーって思ったんですけど…………なんか……なんかね。へへへへへへへ(笑) なんか、そんなあげる気にはちょっとなんなかったっていうかね。良くないよね。楽しみにしてくれてはいると思うんですけど。なので、このラジオで話せる分は話していけたらなと思います。

 

私がそういう風に聞いてしまっているだけで、加藤さんには何の意図もなかったかもしれないし、勝手に自滅して沈んでしまうくらいならシゲ部聞くなよ、とも自分でも思うのですが、言葉を巧みに操ることの出来る加藤さんが「なんか……なんかね。」と言い淀み、「あげる気にはならなかったんだよね」と何かを誤魔化すかのように力なく笑う加藤さんの声を聞いていたら、たまらない気持ちになってしまいました。

 

 

加藤さんは、この数ヶ月の間で多くのものを失ってしまったように思います。

とても幸せそうに嬉しそうに、そしてどこか誇らしそうに忙しくさせていた初脚本の執筆を「共演者の方々へのラブレター」と語っていた加藤さん。その想いは確かに届いたはずなのに、「演じてもらえない」という意味では返事をもらえていない状態で中止となってしまいました。

「最終日は達成感でいっぱいかも(笑)」とまで言うほどに、いつにも増して深く構成や演出に関わっていたSTORYツアーは、ひとまず中止となってしまいました。

「経験のある世界のドラマに出演するというのはすごく感慨深いなぁと思います」と思いを口にしていた出演ドラマは、来年に延期となってしまいました。

 

何かを失ったのは加藤さんだけじゃない。そして、何もかも失ってしまった訳じゃなくて、少なからずドラマは「延期」という形だし、舞台やSTORYだってきっといつか日の目を見る日が来る。目に見える形での喪失に差はあれど、大小なく同じように苦しんでいる人がいる。そんなこと、全部ちゃんと頭では理解しているのに、理性や客観的な思考・広い視野が働かない自分本位な感情剥き出しの私が「どうして加藤さんがこんな目に」と嘆いてしまいます。なんでよ、もう少しくらい加藤さんに優しい世界であってよ、それにやっと気づけた加藤さんだったのに、と泣いてしまいます。別に誰が悪い訳でもないのに。

 

そこに輪をかけるように手越さんの脱退が発表されて。手越さんがグループを去ってしまったことは加藤さんだけでなく、小山さんや増田さんにとっても、それぞれ思うことに多少の差異はあれど同じ痛みだとは思うのですが。これは別に責めている訳でも、加藤さんのせいにする訳でも決してないのですが、小山さんや増田さんが"いつも通り"フラットに、明るく楽しくラジオを届けてくれている中で、ここ最近の加藤さんは明らかに声のトーンが落ちていて、いつにも増して言葉を選びながら話しているようで、わかりやすいことこの上なくて、つい考えこまずにはいられなくて。ああ、私の大好きな加藤さんは本当に嘘がつけなくて馬鹿みたいに正直で、不器用な人だな、なんて想いを募らせてみたりして、ポエマーっぽいツイートばかりを量産してしまったりして。クラウドが更新出来なかった理由もなんとなく透けて見えてしまう気がして。まぁ所詮、全て私が勝手にそんな気がしてしまっているだけなんですけどね。

 

私、すごく好きだったんですよね、"テゴシゲ"のこと。あまり自分からは"コンビ語り"をしない加藤さんに、様々なタイミングで「俺たち一人っ子」「中学受験組」「戦友」「ペースも考え方も合う」などとたくさん言葉をくれた、手越さんのこと。そしてそれを少しくすぐったそうに聞いてる加藤さんのことも。

普段は「本当に手越さんと同い年?」と言われがちな、どこか落ち着いた雰囲気を持つ加藤さんが、手越さんと一緒だと無邪気に悪戯をしてみたりじゃれてみたりふざけてみたりおどけてみたり、そうやって2人できゃっきゃしているのを見ているのが本当に好きでした。加藤さんのあんな表情や笑顔は、きっと手越さんしか引き出すことが出来なかった。そういう年相応…というには加藤さん自身も少し歳を取ったのかもしれないけれど、紛れもなく「NEWSの末っ子コンビ」だった"テゴシゲ"をもう見られないのかと思うと、やるせない気持ちになります。

 

 

たぶん、私が「加藤担」として1番救われたことは、手越さんが誰よりもまっすぐに「加藤さんと歌」を評価してくれたことかなぁ、なんて今は思ったりしてます。NEVERLANDツアー前後に発売された雑誌で「シゲの歌がすごく伸びてる!だってあいつすげぇ努力してるもん。」と語ってくれたり。KちゃんNEWS HiSTORYで加藤さん回の過去の音源を聴いて「この頃(当時18歳)から比べて歌声2オクターブくらい出るようになってるんじゃない?」と言及してくれて、それに対して加藤さんが「下手したらもうちょい出てる(笑)」と答えたら、すごく食い気味に嬉しそうに「ね!?ね!?」と発言してくれたり。

 

ツアー前の歌練習では「最近はシゲちゃんと一緒に練習してる。歌い方について相談したりもするよ。」と語ってくれたことも、私は本当に嬉しかったんですよね。はたからみれば「歌といえばテゴマス」という印象がどうしても強い中で、そのあまりにも頼もしい片翼と一緒に歌の練習をしていて、かつ意見交換をしている加藤さんが、なんだか誇らしくて仕方なかった。勝手に世間から認められている気がした。

 

自己評価が異常に低い加藤さんだから、手越さんが様々な場面で加藤さんの歌を手放しで褒めてくれたこと、同じフィールドで、同じ目線で"歌"を語ってくれたこと、きっと加藤さんにとっても救いだったんじゃないかな、なんて勝手に想像したりします。実際に歌を歌うことが楽しくなった。」と語ってくれたこともあったなぁ。どんな時でも、常に嘘偽りのない瞳で、言葉で、まっすぐに愛を伝えることの出来る手越さんがそう言ってくれるからこそ、加藤さんもまっすぐに信じられた部分が少なからずあったんじゃないかな。

 

少なくとも、私はそうでした。とっても嬉しかったし、(上から目線みたいになってしまってこうやっていうのはあまり好きじゃないのですが)、私が「加藤さん歌上手くなったなぁ」「生放送の歌番組で大丈夫かな、とドキドキしなくなった」と感じていたことも、私の盲目じゃなかったんだと思えて、本当に幸せだった。それを目一杯に感じさせてくれたのは、他でもない加藤さんの努力と経験はもちろん、手越さんの愛に溢れた言葉たちだった。

 

 

"歌"で確かに繋がっていたテゴシゲのことを思うと、それと同時にどうしてもツアーのことも思い出してしまうんですよね。ツアー中は特に1番距離が近かったと思うから。

これからは、ツアー先の楽屋で加藤さんの正面に座る人はいなくて、1人で机を汚して小山さんと増田さんにからかわれることになるのかな。本番が終わって真っ先にシャワーを浴びて、2人で先にごはんに行って、お酒が入った加藤さんのなんてことない愚痴を笑い飛ばしてくれる人は、もういないんだ。泡だらけのシャワー室の犯人は、加藤さんしかいないと言われるのかもしれないな。ツアー期間の必需品として「シゲちゃんの梅干し!」を挙げてくれた手越さんのために、梅干しを漬けることもないのかな。「ここ最近は手越のために漬けてるようなもん(笑)」って言ってたのにな。「梅干しあげるのはいいけどまずタッパー返して」と可愛い文句を言う相手はいなくなっちゃったんだな。

 

とまぁ"テゴシゲ"の思い出を語り出してしんみりしてはキリがないし尽きることはないんですが、手越さんがいたから、加藤さんは自分らしく輝けたと思うんです。

自他共に認める「月と太陽」と言われていたこともあって、加藤さんは太陽を失ってしまったんだなぁと思うと涙が止まらなくて。もちろん、太陽がいなくても、月は十分に輝くことは出来ます。その逆だって然り。けれど、太陽が温めてくれた道を優しく照らす月の光は、間違いなく幸せに満ちていた。

 

昔読んだ絵本か何かの一場面に、幼い女の子がおばあちゃんに「私、昼間は太陽が出ているから明るくて楽しい気分になれるから好き。でも夜は怖い。月の光って頼りないし、真っ暗だもん。それに寝てる時に出てるから見れる時間も少ないよね。太陽は必要だと思うけど、月は別にいらないよね?」というような内容を問いかけていた部分があって。

それに対しておばあちゃんが「月はね、太陽が起きるまで世界を優しく見守ってるの。ずっと明るかったら太陽も眠れなくて疲れてしまうでしょう?太陽のことを起こさないために、静かな光でみんなのことを見守っているんだよ。今度夜になったら空を見上げてごらん。美しい月が照らしてくれているはずだよ。」といったようなことを答えていたのを、なぜかずっと忘れられずにいて。都合良くテゴシゲの姿に重ねていたのかもしれませんね。

 

 

 

不確かなことは明言しない思慮深い加藤さんが、あの日「もうねぇから。」と泣き笑いながら約束してくれたことも、「あなたにとってNEWSとは?」という問いに対して「終わらない青春」と答えたことも、「これからもNEWSで笑っていたい。」と語ってくれたことも、「986日々 だから今があって やっと叶えたこの"4"合わせ」「聖なるこの"4"合わせの庭」と歌詞を綴り、しきりに"4"にこだわっていたのも、"4人"のNEWSがこれからも続いていくことを本気で信じていたからなんだろうなと思います。「絶対」はなくとも、もしその「絶対」が揺らぐことがあったら、今度こそ真正面から向き合う覚悟で、どんなにみっともなくてもすがる覚悟で、そんな覚悟を決めていたように思います。もしかしたら「絶対」に出来る自信も、ほんの少しあったのかもしれない、なんて思ったりもします。

 

山下くんと錦戸くんが脱退する時、「自分には力がなくて何も出来なかった」「死に物狂いで小説を書いたけど、間に合わなかった」といったようなことを語っていて。振り返ることのなかった背中を、痛みを、「忘れてはいけない」と全てを背負って"4人"のNEWSを守ってきた加藤さんは今、確かな自信も、魅力も、経験も、自身でも自覚出来るだけにきちんと大きく育っていたと、この数年の加藤さんを見ていて感じていました。それはこのブログでも幾度となく綴っていたと思うけれど。だから、今回のことでその自信を失っていないといいな、とも思っています。他でもない加藤さん自身が誠実に築き上げてきたそれを、自らの手で奪わないでほしい。

そして、やっぱり背負すぎないでほしい。きっと加藤さんのことだから「いや、これは俺が背負うべきものだから。」と頑なに譲ってくれなさそうだし、背負ったものが重ければ重いほど頑張ってしまうんだろうけれど、あまり1人で抱え込みすぎないでほしいな、なんて思ってます。背負うものが少しでも軽くなった方が大きく前にも進めるし、運が良ければ飛べることだって出来るかもしれないから。

 

また背中を見送ることになってしまった加藤さんのことを思うとやりきれない気持ちでいっぱいになるし、あまりにも理不尽で唐突な"4人"の形のNEWSの終わりに、今回はその背中すら見ることも出来なかったのかもしれない、なんて勝手に想像したりもして、またしょんぼりしてしまったり。

 

そんな風に、ここ最近の私はぐるぐると答えの出ないことを散々考えて、感傷に浸っては思い出にすがってみたりして、自分がこれからどうしたいのかすら分からずにいました。

 

 

 

けれど、こうやって加藤さんのことを想ってめそめそするのは、今日で最後にします。こうしてココで思いっきり泣いたら、案外すっきりしてしまったのかも。

何より、自惚れかもしれないけれど、加藤さんの、そして小山さんと増田さんの、"3人"の形のNEWSの「大丈夫」になりたいと思ったから。

 

あれからは、さすがにNEWSの曲を聴くのはしんどくて、NEWS以外のアーティストの曲をシャッフルで聴いてました。そんな時に流れたのがRADWIMPSさんの『大丈夫』でした。映画『天気の子』の主題歌のうちの1曲、と言えばわかりやすいでしょうか。歌詞を噛み締めるようにして聴いていたら、涙が止まらなかった。どうしても重ねてしまわずにはいられなくて、全部が全部あまりにも私の気持ちだった。

 

時の進む力は あまりに強くて
足もつかぬ水底 必死に「今」を掻く

足掻けど未来は空っぽで いつも人生は
費用対効果散々で 採算度外視、毎日

僕はただ 流れる空に横たわり
水の中 愚痴と気泡を吐いていた だけど

世界が君の小さな肩に 乗っているのが
僕にだけは見えて 泣き出しそうでいると

「大丈夫?」ってさぁ 君が気付いてさ 聞くから
「大丈夫だよ」って 僕は慌てて言うけど

なんでそんなことを 言うんだよ
崩れそうなのは 君なのに

 

安い夢に遊ばれ こんなとこに来た
この命の無目的さに 腹を立てるけど

君がいると 何も言えない 僕がいた
君がいれば 何でもやれる 僕がいた

世界が君の小さな肩に 乗っているのが
僕にだけは見えて かける言葉を捜したよ

頼りないのは 重々知っているけど
僕の肩でよかったら 好きに使っていいから

なんて言うと 君はマセた
笑顔でこの頭を 撫でるんだ

 

取るに足らない 小さな僕の 有り余る今の 大きな夢は
君の「大丈夫」になりたい 「大丈夫」になりたい
君を大丈夫にしたいんじゃない 君にとっての 「大丈夫」になりたい

 

世界が君の小さな肩に 乗っているのが
僕にだけは見えて 泣き出しそうでいると

「大丈夫?」ってさぁ 君が気付いてさ 聞くから
「大丈夫だよ」って 僕は笑って言うんだよ

 

何が僕らに降りかかろうとも
きっと僕らは 大丈夫だよと
僕は今日から君の 「大丈夫」だから

 

強がりかもしれないけれど「私は大丈夫」だと、笑って3人に伝えたい。これから新しい"3人"の形のNEWSを一緒に探していく私たちは、きっと大丈夫だよって伝えたい。だからそんな顔しないでよって。でも、あんな顔をして声を震わせながら切に語る3人はあまりにも優しすぎる人たちだから、手越さんのいた"4人"の形のNEWSを守りきれなかったと、きっと悔やむんだろう。だから3人を「大丈夫にしたい」んじゃない。取るに足らない、ちっぽけな私の手には有り余る大きな夢かもしれないけれど、こんな湿っぽいブログを書いてる私には難しいのかもしれないけれど、それでも、3人の「大丈夫」になりたい。自惚れでもいい。なんだっていい。3人が心から笑える未来を彩る、ひとつのピースになりたい。

 

 

ねぇ、今から晴れるよ。