頼りない夜に一つの光を

愛しきアイドルたちよ、幸せであれ

『プラトニック』の超個人的解釈。

 

NEWSのnewアルバム『EPCOTIA』が発売されて約2週間。毎日飽きもせず繰り返し『EPCOTIA』を聞いていて、ハッと気がついたことある。

(シゲ担)『プラトニック』が好きすぎる。

 

元々切ないバラード曲が大好物っていうのもあるけれど。まず歌が上手すぎる。(周知の事実) サビなんて「あれ??なんか手越さん影分身した??手越さん4人くらいいるね???」ってなるじゃん。歌うま攻撃のミルフィーユって感じじゃん。(伝われ)  それに加えて、あの表現力の高さよ!!!!なんかもう圧倒的切なさがすごいじゃん。なんなの!!??歌唱力+表現力が120点満点!!!無敵じゃん!!!!

 

もちろん『プラトニック』だけでなく、この『EPCOTIA』というアルバムに収録されている全ての曲。最高 of 最高!!!大好きだ〜〜!!!やっぱりNEWSは宇宙一!!!!っていうのは前回の記事において散々愛を叫んだんですけども。

全国民の履修科目がまた増えた。【訳:EPCOTIA最高ですよね】 - 君に幸あれ!愛を叫べ

 

今回はソロ曲、中でも手越祐也さんのソロ曲である『プラトニック』について自己満的な解釈をぶちまけてみようかなと!!思っております!!!!

曲だけに限らずいわゆる"作品"って、余白の部分は受け手の想像に委ねられている訳で。その余白部分をただの1オタクである私が、ごちゃごちゃと塗りつぶすのは無粋だよなぁとかなんとか色々考えてたんですけど。思いついちゃったもんはしょうがない、誰か聞いてくれ。(ただの傲慢野郎)

私の妄想にお付き合い下さる優しいそこの貴方!!以下の点ご了承ください!!!

  • 主観100%の個人的解釈です。「へ〜こういう見方もあるんだなー」くらいのテンションでご覧ください。解釈ってのは人の数だけ存在するものだと風の噂で聞いた。(風の噂とは)
  • ご自身の解釈や世界観を大事にしたいという方。ぶち壊してしまったら申し訳ありません…。「ただの1オタクがなんか言ってんな」という生温かい目で見て頂けましたら幸いです。
  • まだ実際にライブの演出を見ていないので、盛大にハズしてる解釈かもしれません。まぁそういうこともあるよね☆(おい)

 

 

 

 

 

 

 

良いですか????皆様の素敵な解釈ぶち壊しに行っても大丈夫ですか????ありがとうございますそれでは早速参りますね!!!!(強引)

 

私的『プラトニック』の解釈は叶わぬ恋、叶えてはいけない恋、つまり"好きになってはいけない人を想う曲"だと思ってます。Twitterに生息していると、この曲を失恋や死別だと捉えてる方が多い印象で。そんなTLの中、こんな呟きをした私のハートはたぶん手越さんレベルに強いと思う。知らんけど。

 

 

なぜ私がそのように解釈したのか。ここからは歌詞に沿って『プラトニック』の世界観を紐解いていきたいと思います。

この曲の登場人物は3人。私(=主人公)と君(=配偶者のいる彼)と、もう1人の見えない登場人物である "君" の配偶者。

 

味わったことのないような

この胸を切り裂くような痛み

確かに失恋、死別ともとれる歌い出し。物理的にも精神的にも「人を失う」ことによって伴う痛みは、このように形容されることが多い。

 

好きだよと素直に伝えて

それだけで未来、変わったならいいのに

この歌詞で「ん?不倫?」という思考回路に落ち着く私 is 捻くれ者。「好きだよ」と素直に想いを伝えても、変わることのない未来を歩む2人。それは、"君" にすでに約束された未来があるからではないか。"君" の未来に、"私" が存在してはいけないのではないか。

 

去りゆく時間と知って 契りのない夢でも

ここで超重要ワードのご登場です!!!!この「契り」という言葉。主に「約束」や「結婚」という意味で通っていますが、実はもっと即物的な意味合いもあるんですよね。「男女の結びつき」の意味合いが転じて「性的な結びつき」という意味としても捉えられるんだとか。高校(か中学?)時代に古典の授業でそう習った時「日本語ってなんて奥が深いんだ!美しい!」と感動した記憶があります。って、んなことはどうでもよくて。

この「契り」という言葉を「約束」や「結婚」の意味合いで捉えるならば、失恋や死別という解釈になると思います。でも私はいかんせん捻くれ者なので、ここは「性的な結びつき」として捉えました。

「契り」(=「性的な結びつき」)のない夢。夢とは、一瞬ですぐに醒めてしまう儚いもの。それは刹那的な逢瀬。それこそまさに "プラトニック"なのではないかと。

■プラトニック…純粋に精神的なさま。特に、恋愛において、肉欲を伴わず純粋に相手を思うさま。 「 -な愛」   ー大辞林より

きっと、この主人公はただ純粋に "君" を想っている。それが例え世間的には「不倫」だと言われてしまう、健康的な関係性でなくとも。「性的な結びつき」がほしいんじゃない。"君" の気持ちがほしいだけ。でもそれって本当?人を好きになるって、そんな綺麗事じゃない。人を好きになればなるほど、どうしたって「その先」を望んでしまうもの。

 

遠く流れる歌に願いをこめて

もっともっと

ああ、離れないでねと言った

願いは「もっともっと」"君" に会いたい、とか。「もっともっと」"君" がほしい、つまり「契り」を交わしたいとか。けれど、その願いはただ願うだけで叶うことはない。それは自分でもよく理解しているから、実際に "君" へと吐き出した想いは「離れないでね」。その一言だけだった。「多くは望まないから。ただそばにいてくれるだけでいいから。」そんな声が聞こえる気がする。

 

悲しい恋でいいの 短い夢でもいいの

せめて泣きつかれるまで そばにいて

綺麗な嘘で抱いて

報われることのない、終わりの見えない悲しい恋でもいい。短いほんのひとときの逢瀬でもいいから。せめて "君" を想って流す、この涙が枯れるまではそばにいてほしい。今だけは「俺にとっては貴方が1番だよ。ずっと一緒にいるよ。」という綺麗な嘘で抱きしめてほしい。

 

優しい歌がいいと 作り笑いして言うから

今夜は涙を堪え 喉を鳴らす

明日の君に どうか 届くように

ここめちゃむずい。(急激な語彙力の低下)  さっきも「歌」というフレーズが出てきたんだけれど、この曲において「歌」の立ち位置がよくわからなくて。何かに置き換えるという常套手段を駆使しようにも、どうにもこうにもうまくハマらなくて。ぐるぐる考えすぎて一周回ってよくわからなくなってきたので"「歌」は一体何者なのか問題"はとりあえず放置したまま強行突破します。(おいまじかよ)「歌=別れ」かなぁとも考えたけど…うーん。

 

最後に交わした キスの名残が切なくする

叶わない恋におぼれて またキスを願うよ

「性的な結びつき」のない『プラトニック』な関係を築いているはずの  "私"  と "君"。過去に一度だけ、キスを交わしてしまったことがあるのかもしれない。それが2人にとっては最初で最後のキス。"君" とのキスを知らなかったら、切なくなることもなかったのに。 "君"  の温度や熱を知ってしまったから、また願ってしまう。「もう一度だけキスをして」と。

 

この部分の手越さんの歌い方があまりにも "痛み" をリアルに表現していて泣けてしまう。悲痛にも似た叫びのように聞こえて。人を想うって綺麗な感情だけじゃいられない。ぐちゃぐちゃになって、どうしても君がほしいと渇望してしまうから。

それまでは切なくも諦めにも近い感情で "君" への気持ちを歌っていたように聞こえる手越さんの歌い方。けれど、このフレーズから、"私" の心の奥底に眠らせているはずの、素直な感情がどんどん露わになっていくようで、とても痛くて切なくて。

 

優しい嘘がいいの 今だけは私だけの…

"君" に未来を約束された相手がいるのは分かってる。だから今だけは、せめて今だけは、私だけの "君" でいて。「俺には貴方だけだよ。」という優しい嘘をついて。

 

悲しい恋でいいの 短い夢でもいいの

せめて泣きつかれるまで そばにいて

綺麗な嘘で抱いて

同じフレーズが前半にも出てきているけれど、手越さんの歌い方が全然違う。前述した部分はただ「綺麗な嘘を囁いて抱きしめて」という控えめで奥ゆかしい "願い" に聞こえるけれど、この後半部分は「綺麗な嘘で塗り固めて抱いて」つまり「性的な結びつき」を願ってしまう "欲" に聞こえる。本来なら期待してはいけないはずの "欲"。

 

醒めない夢がいいの このまま2人がいいの

どうして想いのままに言えないんだろう

君だけ 感じたいよ 今夜(いま)だけは

ここまでは「悲しい恋でいい、短い夢でいいから。今だけはそばにいて。」というキレイゴトを並べていた "私"。けれど、やっぱりそれはキレイゴトにすぎなくて。心の奥底に眠らせているはずの本当の想いは「すぐに醒めてしまう短い夢じゃなくて、醒めない夢がいい。あの人の所へ帰らないで、私とこのまま2人でいて。」という自分本位なものだった。

けれど、この想いを告げてしまったら2人の関係が終わってしまうことは分かってる。"私" がそんなことを望んでいいはずがないことも分かってる。だからその想いは言葉にすることなく飲み込んで、"君" だけを精一杯感じていたい。脳裏にチラつく "君" の配偶者のことは、今夜だけは忘れていたい。お願いだから、忘れさせて。

 

そう考えた時、この曲に多重録音が取り入れられている意味が勝手に分かったような気がしました。もちろん、NEWSICALで取得した技法を直近のアルバムで取り入れた、という手越さんのさらなる進化や努力の形だとも思いますが。

"私" という1人の人間。そんな1人の人間に渦巻く様々な想いや感情。それをこの多重録音という技法で表現しているのかもしれないと思いました。重なり合う "私" の想いや感情。どれも本当の、"私" 。

 

君だけを

たった5文字だけのフレーズをこんなにも切なく歌う人を私は他に知らない。恋い焦がれて、叶うことのない恋だと分かっているはずなのに、どうしようもなく "君" を想ってしまう切なさとやりきれなさ。そんな感情が手に取るように伝わってきて、初めて聞いた時はたまらず泣いてしまった。手越さんの表現力の豊かさに泣かされた。

 

 

 

 

 

この後 "私" と "君" がどんな選択をしたのかはわからないけれど。"私" は身も心も満たされることもなく、ただ "君" だけを想う『プラトニック』な関係は長くは続かないんじゃないかなぁ。前述した通り、人はどうしても「その先」を求めてしまう生き物だから。

"私" にはI'm comingさせてくれるような人が実はお似合いだったりして。(え)

 

 

お付き合いくださった方。いらっしゃいましたらありがとうございました〜〜〜〜!!!!