頼りない夜に一つの光を

愛しきアイドルたちよ、幸せであれ

正しい終わり方を誰も知らない。

 

2023年5月22日、私が応援しているグループのひとつであるKing & Princeから3人のメンバーがいなくなる。

 

信じられなかった。信じたくなかったという方が正しいのかもしれない。こうして綴っている今も気持ちの整理なんて全くついていなくて、何も信じられない何も聞きたくない何も理解したくないと、何の解決にもならないのもわかっているのに全ての情報を遮断して、ただぼんやりと「夢だったらどんなに良いか…悪い夢なら早く覚めてくれ…」と現実逃避することしか出来ない。

デビュー時からずっと順風満帆に見えた彼らの旅路がこんな結末を迎えるなんて、想像すらしていなかった。

 

 

2018年5月23日、King & Princeの華々しい旅の始まり。歴代史上最高と謳われるデビュー曲を与えられて、永遠を誓うかのような純白の王子衣装を纏って手を振る彼らは、誰がどう見ても"王道アイドル"で、高いパフォーマンス能力と個性溢れるビジュアルでたくさんの人を魅了した。私もそのうちの1人だった。

デビューからまもなくして、メンバーの1人である岩橋玄樹が活動を休止。のちに脱退することになった。5人はずっと彼の帰りを待っていた。ライブの演出では彼のメンバーカラーであるピンクが印象的に使われていたりモチーフにされていたり、デビュー曲である『シンデレラガール』の彼の立ち位置は、歌番組でもライブでもいつも空いたままだった。離れてしまってからも、当たり前のように彼の話をする5人の姿が私には眩しくて、とっても羨ましかった。いつか6人の表舞台での再会も共演もこの人たちなら叶えてしまうんじゃないかと、私のこんがらかった勝手な思いすら救ってくれるんじゃないかと、そんな淡い期待を抱いてしまったりもした。それが叶わないどころか、まさか5人すら決別してしまうなんて夢にも思わなかった。

 

NEWS、ジャニーズWEST、Aぇ! groupというどちらかというと男っぽくて泥臭いグループを応援している私は、友人から「なんでキンプリが好きなの?」と聞かれることがよくある。「タイプ全然違くない?」と。

確かに、いわゆる"キラキラ王道アイドル"であるキンプリと、上記した3つのグループの共通点を数えることは難しい。でも、だからこそ惹かれたのかもしれないとも思う。Jr.時代からその存在を知り緩やかに応援していたものの、当時の私は「Jr.のオタクは絶対にしない」という強い信念の元にオタクをしていたので、情報局に入ることはなかった。けれど、デビューが決まってFCが開設されると同時に入会するくらいには、彼らを応援することをずっと心に決めていた。まるでそうすることが必然であるかのように、私はKing & Princeのファンになった。

 

自分でもどうしてKing & Princeというアイドルグループを好きになったのか、今でも明確な理由はわからない。私は人を好きになる気持ちに納得出来る理由も、最もらしい理論も必要ないと思っているので全く気にしてはいないけれど、ダンスも歌もカメラアピールも、何をとっても抜群に高いパフォーマンス能力と、自分が好きだと思えるビジュアルをしていることも、メンバー全員がそれぞれ愛されるキャラクターをしていることも、格好良いから可愛いまで隙間なく何ひとつ取りこぼすことなく取り揃えられた幅広い魅力的な楽曲も、全てが私を応援させる理由だった。私は、現代の"アイドル"として完璧とも思える、そんなKing & Princeがとっても好きだった。

けれど、そうやっていつのまにか自分自身でも気がつかないうちに、King & Princeというグループの可能性を縛ってしまっていたのではないかと、傲慢なことを思って怖くなってしまった。私なんかの1ファンがそんな力も権限もないのは承知の上で、私が好きな、これからも見たい、応援したいと願っていたKing & Princeというグループの未来は、果たしてメンバー自身が思い描いていた未来と同じだっただろうか、と。

もしかしたら、同じ"夢"を見ていられた期間は思っていたよりも短かったのかもしれない。そんなことを考えてしまって、勝手に切なくなってしまった。応援していた時間が無駄になる訳でも、自分自身ももちろん彼ら自身を否定する訳でもないし、彼らを応援していた時間は確かに眩い光を放つ、輝きに溢れた楽しくて幸せな時間だったと断言出来るし、彼らからの愛を疑う余地はないのだけれど、その共に過ごした時間の経過は彼らにとっては"焦り"であり"歯痒い"時間でもあったことを突きつけられて、自分がいかに呑気なファンであったかを痛感した。人気も実力も知名度も、もうすでに全てを持っていてこれからさらに大きくなる、"国民的"と呼ばれるグループになると勝手に思っていた彼らは、もっとずっと"その先"の夢を描いていた。

 

今回のこの発表があって、私が最初によぎったのは『Dream in』の歌詞だった。メンバー全員で作詞作曲をし、『シンデレラガール』のアンサーソングと言われていたこの楽曲に、私はずっと違和感を抱いていた。『シンデレラガール』は"恋の賞味期限"と"アイドルの有限性"を絶妙な歌詞でリンクさせた天才的な楽曲だと個人的に思っているのだけれど、『Dream in』はそのどちらに対しても"終わり"を見ているように思えてならなくて、まだまだこれから共に"同じ夢を見る"ことを信じて疑っていなかった私は、その歌詞が疑問に思えてならなかった。

 

「またね」って手を振った きみの横顔は
数年前と変わらない
変わったのは門限くらいだね

海人くんの歌う"きみ"はきっとファンのことなんだろうと思っていたけれど、今となってはメンバー、それも3人のことなのかなと勘繰ってしまう。ずっと隣にいた、仕事で会って「またね」と別れてまた仕事で会う、メンバーの横顔はきっとあの頃から変わってはいない。変わったのは門限=外出先から帰る時間くらい。個人活動からグループに帰る時間が変わった=方向性の違いが出てきた、と考えてしまうのは深読みしすぎだろうか。

あのときの約束 本当は精一杯の背伸び
「いつまでやらなきゃいけないの?」
たぶんこれからも何回だって間違うけど

私が1番違和感を感じたのはこの平野紫耀くんの歌詞だった。「あのときの約束」がジャニーさんとの「海外で活動出来るようなグループになる」ことなのだとしたら、それは本当は精一杯の背伸びで、その約束を果たすためには"今のままではだめだ"という思いがあったのかもしれない。その"今"が現状を打破するようなこともなく、いつしか「いつまでやらなきゃいけないの?」という思いが育ってしまったのだろうか。そして「たぶんこれからも何回だって間違うけど」という歌詞が、個人的にはとっても切なかった。これから"も"と歌っているということは、これまでにも「間違えた」と思った出来事があったということだろう。1ファンの私なんかが知る由もないところで、そんな思いを抱えて活動していたのかと思うと、やりきれなかった。そして、これは私の勝手な思いだけれど、自分で決めて進んだ道なら「間違えた」なんて今後は思ってほしくないなぁと願ってしまう。

 

等身大の、僕の現在地
叶えた夢と叶えたい夢で
大きくなった僕の荷物
はじまりの手紙はポケットに
「きみを幸せに」それは今でも
変わらない最前列の僕の夢

"トップアイドル"と呼ばれ、人気街道を走り続ける彼らが背負う荷物は大きく、簡単に下ろすことなんて出来ない。叶えた夢と叶えたい夢の狭間で、きっと動けなくなってしまったのが「等身大の僕の現在地」だったのかもしれない。そして「きみを幸せに」と綴ったはじまりの手紙はずっとそばに、体温を感じるポケットにあるけれど、今でもそれが変わらない夢だと歌うのは、事務所に残りKing & Princeというグループを守ることを決めた永瀬廉なんだ、それが私の自担なんだと思ったら、涙が止まらなかった。

賑わう街に、きしみ出したガラス玉も
きみの笑顔で じんわり宝石より輝く 

賑わう街=King & Princeというグループを取り巻く今の環境、そして一見順風満帆のように思えるけれど、天井が見える、決められているかのような未来にガラス玉はいつしかきしみ出していたのかもしれない。そもそも『シンデレラガール』では「時がたてば宝石もガラス玉さ」と歌っていた。つまり、光り輝く価値のあるものだった宝石は、時が経ってなんの変哲もないガラス玉になってしまっていた。そんなガラス玉さえきしみ出していた=限界がきていたけれど、きみ=ファンの笑顔で、じんわり温かな光を放つガラス玉になる。それは、宝石よりも輝くと思える程に。

「ずっと一緒にいられんのかな?」って
そんな会話に きみは曖昧に笑うけど
性懲りもなく想う
きっと この魔法は解けない  

ファンという存在は勝手だ。勝手に好きになって、勝手にアイドルの元を去っていく。「ずっと一緒にいられんのかな?」という問いに対しては、曖昧に笑うことしか出来ない。いくら"ずっと好き"だと今は思っていたとしても、どうなるかなんてファン自身さえもわからない。けれど、そんなファンでさえ性懲りもなく想ってくれるらしい。『シンデレラガール』では「恋の魔法には期限がある」と歌っていたけれど、「きっと魔法は解けない」と信じてくれるらしい。

等身大の、僕の現在地
与えたものと与えられたもので
小さくなった僕の荷物
「僕らなら行ける どこへでも」
精一杯 背伸びの言葉だけど
この歌もポケットにしまうよ

与えられた自由=それぞれの道を進むことで、背負っていた荷物は小さくなって、身軽になる。「僕らなら行ける どこまでも」と歌うのは自分自身に言い聞かせるかのような精一杯の背伸びの言葉だけれど、「きみを幸せに」というはじまりの手紙と一緒にポケットにしまっておく。

時計の針が 別れの数字に近づいて
馬車に乗る背中 閉まるドア
最後の一秒まで

個人的に1番この歌詞が刺さって抜けなくて、とってもしんどかった。私の自担の1人である加藤シゲアキさんは、山下くんと錦戸くんが出て行く、決して振り返ることのなかった背中を、今もずっと覚えていると語っている。ただ見送ることしか出来なかった、と。同じように重ねてしまうのは違うと頭ではわかっていても、どうしてもその時とリンクさせてしまう。だって「馬車に乗る背中=グループから出て行くメンバー」やがて「閉まるドア=5人で活動したKing & Princeの締めくくり」を「最後の一秒まで」見届けるのは、その歌詞を歌うのは、これからもKing & Princeというグループを守って行くと決めた廉と海人くんなんだ。

夜空を超えて 会いに行くよ
きみでできた僕だけの魔法で

一文字だけ書き換える
はじまりの手紙の約束
「きみと幸せに」なんて夢を
同じ気持ちならいいな
精一杯 背伸びして この歌が
10年後の僕たちに届きますように

「きみ"を"幸せに」と綴ったはじまりの手紙は「きみ"と"幸せに」と一文字だけ書き換えられた。今回こういう選択をしたことは、ファンを幸せにはしないかもしれない。けれど、その選択をした先で、未来でファンと幸せになりたいという思いは本物で、そうであってほしい、同じ気持ちでいてくれたらいいなという彼らの今の夢だ。そしてこの歌が、それぞれの道を進んでいる10年後の彼らに届きますようにと願われて、この曲は終わる。等身大ではなく、"背伸び"だと歌われて。

 

この楽曲が作られた頃にはもう今回の結論に至っていたのか、今となってはわからない。こうやって答え合わせのように、ちぐはぐだったパズルをはめていくかのように歌詞を辿ることは、彼らにとって本望なのかもわからない。ただひとつだけ確かに言えることは、彼らが共に見たはずの夢は、いつのまにか違えてしまっていたという事実だけだ。

 

 

 

デビューの瞬間を見届けたのも、ご祝儀と称してデビュー曲を爆買いしたのも、デビュー曲から欠かさず毎シングル毎アルバム毎LIVE DVDを買っているのも、歳下の自担も、長年ジャニオタをやっていてファンサをもらったのも、全部King & Princeが初めてだった。

 

ありがとう、にはまだ早すぎるよ。まだまだ同じ夢を見ていたかった。6人のKing & Princeも、5人のKing & Princeも、私はきっとずっと忘れられないし、絶対に忘れたくない。過去に執着するようなファンでいたくはないけれど、どの形のKing & Princeというグループを愛することを、どうか許してほしい。だって、あまりにも宝物だった。他にはない輝きを放つ唯一無二の、本当は誰にも取り上げてほしくなかった、大事な私の宝物だった。こんな物分かりの悪いファンで、真っ直ぐに前を向くことの出来ないファンで、ごめんね。

 

2023年5月22日まで、あと197日。