頼りない夜に一つの光を

愛しきアイドルたちよ、幸せであれ

世界で1番好きな人が結婚した。

 

世界で1番好きな人、加藤シゲアキさんが結婚した。

 

その一報を受けた瞬間、頭が真っ白になった。と同時に、込み上げてきた気持ちは何の曇りもない「おめでとう」と「嬉しい」だった。いや、正しくは"そう思いたかった"。いつか加藤さんが結婚する日が来るとしたら、私は心から祝福出来るファンであれると信じていた。けれど、実際の私は泣いていた。自分の意思が全く関与しないところの何かが作用して、ポロポロと涙を流していた。この涙が何を意味するのか、しばらく自分でも理解出来なかったけれど、すぐ言語化出来るようなわかりやすい感情ではないことは確かだった。少なくとも、これまで私が生きてきた人生の中で同じような気持ちになったことはなかった。それは至極当然のことだ。だって、加藤さんと同じくらい好きだった人なんて、存在しないのだから。

 

加藤シゲアキというアイドルを好きになって約15年。色々な加藤さんを1ファンとしてずっと見てきた。なんだか不器用に生きづらそうにしていたところも、全然素直じゃなくて捻くれていたところも、嘘がつけないところも、NEWSのために作家業に足を踏み入れたところも、メンバーとおどける末っ子な顔も、すっかり頼もしくなった後ろ姿も、ライブでだけ見せてくれるファンに笑いかけるとろけそうな甘い笑顔も、全部、本当に全部余すことなく大好きだった。「私にとって世界で1番のアイドル」そう度々言葉にせずにはいられないくらい、他の誰にも代え難い、世界でたった1人の自慢の自担だった。

 

加藤さんが私にくれたものなんて、本当に数えきれないくらいたくさんある。加藤さんを好きになったから出会えたかけがえのない友達だってたくさんいるし、学生時代は加藤さんと同じ大学に行きたくて勉強も手を抜かなかったし、加藤さんの感性を感じたくて映画もたくさん見たし、社会人になってからは加藤さんに恥じない生き方をしたくて仕事も頑張った。加藤さんを好きでいると、人に優しくなれた。人を好きになれた。そうやって少しずつ、けれど確かに加藤さんに影響された私の人生は、すごく、すごく幸せなものになった。加藤さんのおかげで出会えた人がいる。加藤さんのおかげで知ることの出来た世界がある。加藤さんのおかげで、私、今とっても幸せなんだよ。

 

加藤シゲアキというアイドルは、実に稀有な存在のアイドルだった。アイドルと作家という二足の草鞋を履いているからではない。"アイドル"としてはあまりに優しすぎた。あまりに人間的で、温度を感じさせる言葉を届けてくれるのは日常茶飯事。こちらが申し訳なくなるほどファンを大切に思うような行動を取ってくれるアイドルだった。いつだって誠実で、嫌な顔ひとつせずそれが当然のことだとでも言うように、真正面から真摯にファンに向き合ってくれた。芸能界という光と影が色濃く映し出される世界で、かつ多くのファンを抱えるアイドルという仕事に従事していながら、どうしたらそんな風に生きられるんだろうと思うようなことばかりする人だった。

特にここ数年の加藤さんはそれがとても顕著だった。4→3になった直後の雑誌で「ファンの人が幸せであることが僕にとっての1番」と語ってくれていたように、自分の幸せは二の次三の次、いつだってNEWSのため、ファンのために行動してくれていた。たくさんの言葉をくれた。それはきっと、自責の念にかられていた部分もあったのだと思う。最近ようやく明かしてくれた思いの中で「4人で最後、4人で終わると思ってたしそう言ってた。でも3人になった時"俺嘘つきになっちゃったな"と悔しい気持ちは今でもある」と語ってくれていたように、4人になって初めてのライブのステージで「もうねぇから」と涙を流しながら約束してくれたことや、「986日々 だから今があって やっと叶えたこの 4合わせ」という歌詞を綴っていたこと、不確かなことは明言しない思慮深い加藤さんが"4人"に対しては絶対的な信頼を寄せていたこと。結果的にそれを裏切る形になってしまったと、未来のことなんて誰もわからないのに「言葉の無力さを痛感する」「言葉に責任を持って生きていきたい」と綴っていた加藤さんの心の痛みを思うとやりきれなかった。加藤さんは過去に自分がした発言や行動を絶対に忘れない人で、感じた痛みも他の人には見えないように抱きしめてしまう人で、そんなところも好きだったけれど、それがずっと加藤さんを苦しめてしまっていたように思う。贖罪、というには少し大げさかもしれないけれど、「たくさん悲しませてしまった分それ以上に幸せにしてあげたい」という真っ直ぐな思いを、言葉や行動で常に伝えてくれる人だった。

 

そんな優しすぎる人が、「ファンには笑っていてほしい」「誰も傷つけたくない」「誰も置いていきたくない」という思いが傲慢だと認識した上で、それでもファンの幸せを願って迷わず行動してくれる人が、一世一代の決断をした。私は、その事実が1ファンとしてとても誇らしかった。なんておめでたいファンなんだと思われてしまうかもしれないけれど、信用されているんだな、とまで感じた。そう思えるところまで、加藤さんが優しく手を引いて連れてきてくれたんだと思ってる。

それと同時に、"自分の幸せは二の次三の次、いつだってNEWSのため、ファンのため"に生きていたように見えた加藤さんが、自分の幸せも諦めていなかったことを知ることが出来て、この上なく嬉しかった。そして安心した。"見えない仕事"で多忙を極める生活を送る加藤さんの側には、心許せる大切な人がきちんと寄り添っていてくれたこと。もしかしたらそれが加藤さんの支えになっていたかもしれないこと。私はただのファンだから勝手に心配することしか出来なくて、もらったものは数え切れないくらいたくさんあるのに何も返せていないように思うことが、もどかしかった。そんな風に思うことすら傲慢なのかもしれないけれど、そんな風に思ってしまうくらい、加藤さんが与えてくれたものは大きくて、優しくて、温かかった。加藤さんがそう在れたのは大切な人のおかげなのかもしれないと思ったら、加藤さんにとっての大切な人に感謝すら出来ると思った。

けれど、そんな綺麗事を取っ払って自分の気持ちに素直に向き合った時「嬉しい」「誇らしい」「安心した」以外の感情があることにも薄々気がついていた。綺麗な感情じゃないことは分かりきっていたので見なかったことにしたかったけれど、それはむくむくと頭をもたげてきて、いつしか気持ちのスペースに我が物顔で入り込んできてしまった。

私は、寂しかった。寂しくて泣いていた。

約15年ずっと見ていたはずの加藤さんが、突然知らない人になってしまったみたいだった。私がずっと見ていたのは"アイドル 加藤シゲアキ"で、私たちに見せる顔以外にも様々な顔があることなんて始めからわかっているつもりで好きになって、どんなに好きになっても全ての顔を知ることなんて到底出来なくて、そんな必要すらなくて、"アイドル 加藤シゲアキ"を知っているような気になること自体、おこがましいと思っていたはずなのに。あまりにも加藤さんが人間味溢れるアイドルで、全てを曝け出してくれるように感じていて、信じられないくらいにいつも誠実だったから、もしそんな大切な人がいるなら絶対に気がつけると、恥ずかしいくらい傲慢なことすら思っていた。けれど実際は1ミリも、本当にそんな予感さえ全く感じさせずに突然加藤さんは結婚した。見事だった。天晴れだった。私がずっと見ていたと思っていたのは、"純度100%のアイドル 加藤シゲアキ"だったことを改めて思い知らされたような気がした。それがとても寂しかったんだと思う。本当は最初から、何も知らなかったはずなのに。

自惚れかもしれないけれど、少なくとも私は「そんなに大丈夫だよ」「こちらのことは心配しないで」と言いたくなる程に、加藤さんはファンのことを愛してくれていたし、大切にしてくれていたとも思っていて。そうやって向けてくれていた優しさや誠実さ、愛情はきっとこれからも変わらないと思うのに、寂しいと感じてしまうのは、加藤さんが愛情を向ける先が増えたことを知ってしまったからなんだと思う。その愛情を独り占めしたかったわけではないはずなのに、そんな気分になってしまうんだから厄介だなと思う。

 

そんな傲慢ともいえる寂しい気持ちは確かにあるけれど、自分でも驚くくらい「加藤さんが好き」という感情は揺るがなかった。それはやっぱり、加藤さんがこんな時にまで「私にとって世界で1番のアイドル」だと思えたからだと思う。"アイドルとファン"という脆くて儚い関係性を「隔たりがある分優しくなれる」と理解し、その距離感だからこそ相手を慈しめると説いて、常に適切な距離感を保ってくれていた。決して交わることのない距離感が、こんなにも心地良いと思ったことはなかった。そしてFC向けの結婚報告文では「大変申し訳なく」「晴れやかな気持ちばかりではない」「これからもファンの皆様と一緒に美しい光景を作り上げていきたい」なんて綴ってしまうんだから。「もし加藤さんが結婚したら」という想像はしていたつもりだし、それに伴うであろう自分の気持ちも想像はしていたけれど、まさかFCに向けた結婚報文を読んでさらに好きになってしまうことは全く想像していなかった。こんな時くらいファンのことなんて想わなくて良いのに、絶対に喜ばしいことなのに、そうやっていつも当たり前のように想ってくれる加藤さんの優しさや誠実さにずっと、助けられて、救われて、そして甘えていた。ずっと守られていたのは、私の方だった。

「悲しみは愛の対価。悲しいと思うのは自分が愛していた証拠。そこまで愛せた自分は良いな」なんて言葉を思い出したりして、ああ嫌だな、こんな時にまで思い出すのは加藤さんが教えてくれた言葉なんだ、なんて思ったりもして。「好きになりすぎない」という言葉を教えてくれたのも加藤さんだったのにな。とっくに手遅れなところまできてしまっていたよ。ごめんね。

 

きっとこれからも私は、どうしようもなく加藤さんのことが好きなんだろうと思う。「こんな思いするくらいなら、いっそ出会わなければ良かった」なんて少しも思えなくて、嫌いになんてなれるわけなくて、ちょっとはそう思えたら楽だったのかもしれないな、なんて苦笑してみたりして。でもね、加藤さんのことが好きじゃない私なんて、もう私じゃないんだよね。こういう言い方をすると加藤さんに依存しているように聞こえるかもしれないけれどそうじゃなくて、衣食住・仕事・恋愛みたいな、人生における大きなカテゴリの中のひとつに「加藤シゲアキ」があるみたいな。人生の半分以上そこにあったものを自ら手放すなんて、私には到底出来そうにないな、とも思う。

それに、まだまだ私は加藤さんと一緒に夢を見たい。加藤さんが夢を叶えていく姿を見たい。そして変わっていく加藤さんをずっと見ていたい。私が約15年もの月日を加藤さんのことを好きでいられたのは、加藤さんが"常に変わり続ける人"だったからだということを今回の件があって思い出した。それは過去のブログでも綴っているのだけれど。

変わらないもの、変わってゆくもの。 - 頼りない夜に一つの光を

"常に変わり続ける人"だから目が離せないし、その変化をずっと追っていきたいと思える。もちろん変わらない部分だってたくさんあるし、その変わらない部分にこそ好きが詰め込まれていたりするんだけれど、変わらない加藤さんと変わりゆく加藤さん、そのふたつが同居する「加藤シゲアキ」というアイドルがとても興味深くて、面白くて、好きだなと思えて。見てて飽きないどころか、全く飽きさせてくれないんですよ、困ったことに。そして私はこの約15年という月日の中で、変わりゆく加藤さんがとっても素敵なアイドルになっていくことをこの身を持って知ってしまっているんですよね。これを機にまたひとつ変わりゆく加藤さんを、より素敵なアイドルになっていくであろう加藤さんを、この目でずっと見ていたいなと思うのです。

 

 

加藤シゲアキさん、あなたのことが大好きでした。世界で1番幸せになってください。あまりにも優しすぎる人だから叶うことはないのかもしれないけれど、いつかあなたの口から「今幸せです」と聞ける日が来れば良いな。誰よりもファンの幸せを願ってしまう人だけれど「自分が幸せになることで人を幸せにすることができる」こともきちんと知っている人だと思うので、もう心配はしていません。これからの加藤さんの歩む道が、光溢れる日々になることを心から願っています。

 

 

世界で1番好きな人、結婚おめでとう。